「皆、寂しいんだな」
卓はそう思った。
街中でも、急にお年寄りが旧知の仲のような口調で、話し掛けて来ることがある。
駅のプラットホームだったり、マーケットだったり・・・
一人でいると、バランスを崩す。
人は喋る相手がいないと、こころが壊れるのである。
この仕事に就いて、それが分かるようになった。
半日、口をきかずにいると、さも優しげな人が乗車して来たとき、何か話し掛けたくなるものである。
仲間の中には、この時とばかり、愚痴っぽくなる話を持ち出す者もいた。
会社の事、組合の事、経営者や管理者のことなど、喋りまくる者がいる。
そんな時、乗客の殆どは、聞き耳を立ててくれるが、そのうち、無視を決め込む。
聞きたくないのだ。
誰だって、他人の愚痴は聞きたくないものである。
まして『舞台裏』の話など、始めは面白いが、度が過ぎると耳を塞ぎたくなるのだ。
喋りすぎると、失敗する。
では、どうすれば良いのか。
時間がある時は、身体を動かす事である。
身体を動かさなくなると、人間は思考が偏る。
そうならないよう、定期的に身体を動かす・・運動することが大切なのだ。
卓は、休んでいたジム通いを再開しようと思う。
プールで1キロも泳ぐと、大抵のイヤな事を忘れる事が出来た。
公園で3キロ歩くと、「もっと歩きたい」と思うようになる。
しかし、決して無理はしない。
この運動好きのお蔭で、卓はバランスを保っている。
先の若者も、心の内を聞いてくれる相手が欲しかったのであろう。
不器用な人は多い。
不器用な人ほど、心を開くと人なつっこいものである。
卓にとって、毎日が『人間学習』の日々であった。
やっと、30も半ばに差し掛かったころ、心にゆとりが生まれ、人間が少しずつではあるが、分かって来たのだ。
今、「人は可愛い」と思える。
若者を降ろし、そんな事を考えていた時、無線営業部から連絡が入った。
社に戻れと言う指示である。
「何事か」と、ハンドルを切りなおし、社に向かった。
窓口に駆け込むと、管理者の伊田が、慌てていた。
「川浦さん!携帯、切っていたでしょう・・・家に戻って!直ぐ!」
「何か・・・あったんですか・・・」
「とにかく!家に戻って!」
卓は納金を済ませ、携帯を鳴らした。
母親も父親も出ない。
妹の携帯を何度も鳴らした。
「あっ!お兄ちゃん!・・・お婆ちゃんが!おばあちゃんが!!」
卓は、やっと通じた妹の携帯から聞こえる涙まじりの話を、全身の血が凍るような思いで聞いていた。