「鈴木さんのお母さん、本当に引っ越したんだ!?」
田中さんは目ばたきをしているようだったが、そのうち、眼から大粒の涙が零れ落ちた。
「田中さん、大丈夫ですか?」
福山が心配そうに問いかけた。
「大丈夫・・・大丈夫です」
「寂しくなるってことなんだ?」
福山は意味のない事を、口走ったと後悔した。
「はい・・・私はね、7年前に母親を亡くしましてね、その後、ず~っと懺悔の日々です」
「親不孝したと?」
「そりゃあもう!若い時分はやんちゃでねえ~いつも母親が、人様に迷惑だけは掛けないでね・・・ってね」
田中さんは、ポケットからハンカチを出すと目頭に当てた。
「何となく鈴木さんちのお母さんが、亡くなった母と年が同じくらいなんで・・・負ぶっていると、なんかホントの母親のような感じがしてたんですよ~」
「そうだったんですか」
「若い頃、母親が、足が痛い、膝が痛いってよくさすっていたんですが、なんで負ぶってでも、病院に連れて行こうとしなかったんだろ・・・ってね・・・思い出すんですよ・・・母ちゃん、痛かったろうな・・・俺に連れてってほしかったんだなあ・・・て、今でも悔やまれて・・・」
「それで、鈴木さんを負ぶって差し上げたってことなんですね」
福山は「また、分かっていることを聞いてしまった」と後悔した。
「そうなんです・・・母ちゃん、ごめんね・・・ってね・・・いつもそう思いながら鈴木さんを負ぶってたんです」
「それで、田中さんはヘルパーの資格を取ったんですね」
「はい・・・せめてもの罪滅ぼしってやつです」
田中さんはハンカチをズボンのポケットにしまって気を取り直した。
「田中さん・・・優しい思い出ですね」
「あ、ありがとうございます・・・優しい思い出か・・・」
「はい・・・いい思い出ですよ・・・」
福山の言葉に田中さんは、にっこり微笑んで見せた。
「さて、じゃあ行ってきます・・・今日はどんなお客様をお乗せするのやら・・・」点呼を終えた田中さんは、日報を手に点呼場を出た。
「きっと、良いお客様ですよ・・・何かいい事あると良いですね」
「はい」
点呼場を出て行く田中乗務員の後姿は、優しさに溢れているような気がした。
と、その時、福山はカウンタ-に置かれた田中乗務員のスマ-トフォンに気が付いた。
「田中さん!田中さ~ん!」
福山はスマ-トフォンを手にすると、田中さんを追いかけた。
スマートフォンの中で、静岡に引っ越して行った、鈴木さんちのお母さんが優しい笑顔で微笑んでいた。