「田中さんには随分、お世話になりましてね」
鈴木と名乗る老婦人の話は続いた。
「持病のリュ-マチが痛み始めると、いつも田中さんに来ていただいて・・・」
福山はこの時、初めて合点が行った。
「息子が静岡に、家族を伴って赴任していたんですが、あちらの営業所での勤続が決まりましたね、家も建てて、南側に母さんの部屋も造ったから一緒に住もうって言ってくれましてね・・・」
嬉しそうな声で話す鈴木さんの話は続いた。
「いつも関節が痛んで・・・歩けない時はタクシ-を降りると、病院の受付まで負ぶってくれました・・・」
「田中乗務員がですか・・・」
「ええ・・・最初は負ぶってもらうのが、申し訳ないやら、恥ずかしいやらで、田中さんにいつもごめんなさい・・・って・・・」
「そうだったんですか」
「でもそのたびに田中さん、自分の母親が生きていりゃあ、鈴木さん位の年です・・・母親だと思ってますんで・・・って照れくさそうに、仰ってくださいましてね・・・」
福山は「あ~田中さんらしいな」と心の中で思う・・・
「私も負ぶってもらいながら、息子と一緒に暮らしていれば・・・ってよく思っていました・・・でも、そのうちホントに田中さんが自分の息子のように思えて・・・引っ越しの荷物を全部、送り終えて昨晩は息子と二人、久しぶりに色んな話が出来ました・・・今日持って行く荷物は、車に積むお蒲団だけなんですよ・・・忘れ物はないかなって思っていたら・・・ああ、そうだ、田中さんにご挨拶するの忘れてたって思い出したんです」
なんて、義理堅くって律儀ナンダ・・・福山は目頭が熱くなった。
「ホントに永い間、お世話になりました・・・田中さんにくれぐれも、宜しくお伝えください」
「承知いたしました・・・わざわざ、ご挨拶ありがとうございました」
「皆様もお元気でね・・・」
「はい、田中には間違いなく伝えます・・・鈴木様もお気を付けて・・・お元気でお過ごしください」
「ありがとうございます・・・失礼致します」
鈴木さんは丁寧なご挨拶を残し、受話器を置いた。
福山は思う。
乗務員は原則として、お客様に触れることが出来ない・・・しかし、救急搬送の時ならいざ知らず、人手を考えると、患者自ら、可能な限り、歩いて行かなければいけない時もあろう…田中乗務員は、いたたまれず、痛みに耐えるこの老婦人をおぶったのだ。
放ってはおけなかったのである。
お客様には、一期一会の方もいらっしゃれば、リピ-タ-と呼ばれる方もいらっしゃる・・・しかし、お客様がいらっしゃればこそ、ひとつの営業が可能になるのだ・・・その感謝の気持ちが、強ければ強いほどお客様との関係性は深まるってことか・・・
その1時間後、田中乗務員が点呼場に現れた。
鈴木さんの話を伝えると、田中乗務員は寂しそうに呟いた。
「なんだ・・・今日、引っ越しだったんだあ~その前に渡したい物があったのに~」
「渡したい物?」福山が聞いた。
「ええ・・・先日、病院から戻ったら鈴木さんのお母さん・・・写真撮ろうよって・・・玄関先で二人でシャメ撮ったんですよ・・・で、プリントアウトしたんで差し上げようって思っていたんですけどね・・・この方なんですよ」
田中乗務員は胸ポケットからスマ-トフォンを取り出して、「ほら・・・このお母さん・・・」と自慢気に見せた。
白髪の前髪、毛糸の帽子の前にはスイ-トピ-のアップリケが付いていて・・・優しそうな老婦人の横に、まるで実の息子のような笑顔の、田中乗務員の笑い顔があった。