その後、卓は数回の営業をこなし夕飯を摂り、休憩に入ったあと、いつものように夜の10時過ぎには営業を開始した。
卓は、この時間帯に強かった。
昔から自分は、夜型の人間だと自負しているところがある。
卓の頭と身体は不思議な事に、夜になると冴え、よく動くようになるのだ。
運よく幾つかの無線をもらい、終電近くになり最寄りのJR駅構内に入構する。
最近、深夜バスのせいで、客足が遠のいた感はあるが、それでも終電前後の乗客を乗せようと、タクシードライバー達は必死である。
この時間はアンコになることもなく、車の流れは比較的スムーズだ。
卓の順番が回って来た。
少しふらついているようにも見える、30過ぎの女性である。
腕には大きめのバッグを抱えているが、会社がひけて、飲み会でもあったのだろう。
「ありがとうございます・・・どちらまで・・・」乗車して来た女性に声を掛ける。
案の定、アルコールの匂いをさせながら、うつろな目の女性が呟くように言った。
「まっすぐ・・・」
「えっ?真っ直ぐですか?」
「そう!まっすぐ!」
卓はこのテの乗客に、驚かなくなっていた。
「恐れ入りますが、お客様の目的地を伺ってもよろしいですか」
卓が静かに聴いた。
「う~ん!だから!だから!まっすぐなの!!」
「真っ直ぐと言われましても・・・」
「とにかく!早く!発進!発進してちょうだい!っつ~の!」
卓は素直に従った。
ハンドルを右に切り、駅構内を出る。
「運転手さん!・・・あのさあ!すべての道はローマに通じてんのよ・・・知ってる?」
乗客の言葉に卓は、吹き出しそうになったが、グッとガマンした。
「ローマまで行くわけ・・・」ふとそう思いながら車を走らせる。
幾つかの信号を通り過ぎた。
数分後には、突き当りの交差点だ。
「お客様・・・この先、突き当りになります・・・右でしょうか・・・それとも・・・」
女性客は、面倒臭そうに言い放つ。
「ああ~ウザイわ~もう!どっちでもイイワヨ!好きな方に曲がんなさいヨ!」
卓は、ひとまず路肩に車を停めた。
「お客様・・・」
返事がない。
振り向くと女性客は「ウゥ~ッ・・・」とうつむいている。
卓は素早く紙袋の中にビニールを敷いた袋を取り出した。
いつも、2,3枚常備している客用の袋である。
「お客様!・・・これをお使いください!」
卓は身を乗り出し、女性客の口元に紙袋を近づけた。
「ウ~ッ!ウ~ッ」と唸るような声を出しながら、女性客が吐き切ったのを確認し卓は、素早く袋を閉じた。
「お客様、大丈夫ですか」
声を掛けながら「今日は、また何ていう日だ・・・大丈夫ですかって、この言葉を何度、発したことだろう」と、ふと思った。
「ウ~ン!・・・ここどこ!」女性客がハンカチで口を、ふさぎながら、窓に顔を、押し当てる。
「はい・・・駅から10分程、まっすぐ走りました」
「アンタさあ!何処、走ってんの!・・・アタシのウチに行けって言ったでしょう!」
「イエ・・・真っ直ぐ行けと仰ったんで・・・」
「アンタさあ!ここのタクシーアタシが、ドンダケ使ってるか知ってるゥ~・・・」
「ありがとうございます」
「じゃあ!行きなさいよ!・・・アタシんち!」
「承知致しました・・・お客様のお家は、何町ですか?」
「何町!?って・・・そんなの知るかあ~」
女性客はフ~ッと息を吐くや、嘔吐後、気分が良くなったのか、シートにもたれ、あっという間に眠り込んでしまった。