車中では、皆が無言のままである。
沢口の愛人も下手に口火を切らぬ方が良いと、判断しているのであろう。
「この女性、たいしたもんだ・・・」
60を過ぎたであろう、沢口の奥方の前でも、ビビらないとはどういうことか。
いや、内心はびくついているのだろうが、その気配すら見せない演技力の凄まじさに卓は驚いていた。
それに沢口の奥方が、この齢でGPSを使いこなしているとは、これまた驚愕の事実である。
「これが、女なのか・・・」
今更ながら、女性の強さ、賢さ、柔軟さに感服していたのは、沢口もまた同じである。
「行ってまいります」と昼前には家を出たはずの妻が、今、ここにいる・・・
「イヤハヤ・・・参った」
沢口は溜息を付く。
少し走ると、前方に感じの良いファミレスが、現れた。
「社長、ここでもイイですか」
卓がわざとらしく問いかけた。
「ああ、いいんじゃないか!?」
そのまま、タクシーは駐車場にすべり込んだ。
店内に入ると、さほど人は多くない。
ファミレスと言うより、感じの良い高級レストランの雰囲気である。
4人は奥まった一角の席に陣取った。
「奥様、紹介します」
卓は女性に目配せをした。
「社長様、奥様!ご挨拶が遅れまして失礼致しました・・・田中 咲と申します」
奥方は、立ち上がって一礼した女性を、相変わらず厳しい視線で見つめている。
「よろしく・・・沢口の妻です」
奥方は座ったまま軽く会釈し問いかけた。
「で、川浦君は、どういういきさつで、彼女と知り合ったの・・・」
「あっ!はい!友人の紹介で知り合いました」
「あらそうなの・・・コンパとか?」
「いえ、そうではなくて、お見合いもどきの出会いを、友人が設定してくれて・・・」
「そうでしたか・・・それで、咲さんとおっしゃったかしら・・・あなた、お仕事は何をしてらっしゃるの?」
「はい、神楽坂で小さなお店をしております」
「お店?」
「はい・・・もともと、両親が小料理屋をしておりまして、私が引き継ぎました」
「あら・・・お若いのに・・・おエライわね」
「ありがとうございます・・・大学卒業後、OLをしておりましたが・・・
両親がどうしてもこのまま、店を閉めるのは忍びないと申しまして・・・弟は地方に赴任しておりますし、それでは自分がと、私自身で決めました」
「そう・・・」
運ばれ来た紅茶にレモンをいれながら、奥方は徐々に咲の話に耳を傾け始めるのが、卓にも分かった。
「なんか・・・どうにかなりそうだ・・・」
卓はホッと安心してコーヒーをすすると、沢口も負けじと「ズルズル~」と音を立ててコーヒーを呑んだ。
「あなた!音!・・・お若い方達の前で!」
沢口は不意を突かれ「ウッ!」と吹いた。
「あらあら!子供みたい・・・」
奥方は手元のオシボリで、零れ落ちたコーヒーをいそいそと拭いた。
「お店はお一人で・・・?」
「いえ、板さんが一人と、お運びさんをしてくださる方が一人・・・3人で・・・」
「そう・・・大変でしょう」
「初めは、なんで家業を継いでしまったんだろうと後悔もしましたけど、今は毎日がとても楽しいんです」
「どうして・・・?」
「向いているんでしょうね・・・お客様は近くの企業筋の方が殆どなんですが、昔を思い出して、相槌も打てますし なにより、男の人って意外と単純だなあって思い始めた頃から、イヤでなくなりました」
「そうなのよ・・・男ってね・・・意外とバカよ・・・」
奥方の言葉に沢口が口を挟む。
「おいおい!バカとはなんだよ・・・」
「あら、ごめんなさい・・・可愛いっていう意味よ・・・」
奥方の言葉に沢口も卓も苦笑した。
「で、あなたは何故、ご結婚を迷っていらっしゃるの・・・」
「・・・この仕事、続けたいんです・・・でもこの人、タクシーのドライバーやめないって言うものですから」
「なるほど・・・難しいわね」
「そうなんです・・・まさか僕が包丁握るわけにも行きませんから・・・」
卓も成り切っている。
「そうね・・・でもね、ものは考えようよ・・・」
「・・・」
「自然に任せて見るの・・・結論を急がず・・・」
「結論を急がず・・・ですか」
卓が聞いた。
「そう!結論はお互いの努力の後にちゃんと、自然に出て来るものですよ・・・ねえ!あなた!」
不意打ちを喰らった沢口は「ウッ!」と口の中のコーヒーを噴出した。
「まあ!また!」
甲斐甲斐しくこぼれたコーヒーを拭く奥方を、これまた咲に成り切っている沢口の愛人が、意味深な目つきで見つめていた。