「おっお前!・・・京都じゃあないのか・・・」
沢口の顔がこわばって行く。
沢口の妻が、更に語気を強めて言った。
「京都!?・・・行ってないからここにいるんでしょ!」
「後をつけてたのか・・・」
沢口は観念した様子である。
「あなたの携帯に、位置情報追跡のアプリケーションをインストールさせてもらいましたよ・・・私が旅行すると、必ず貴方は夜、出掛けると、通いの京子さんから報告がありましたの・・・」
通いの京子さんとは、沢口家の古いお手伝いさんである。
それにしても、GPS機能を使ったとは・・・
「この奥さん、スゴイワ~」卓は内心驚いていた。
沢口の妻は、沢口の愛人を、恐ろしいほどの表情で、一瞥した。
「これが、長年、連れ添った妻の顔か・・・ま、まるで鬼だ・・・」
沢口の顔が青ざめていく。
「もはや、これまでか・・・」
沢口はこう思ったに違いない。
しかし、天の助けとはこのことである。
「奥様!誤解です!」
車から降りた卓の声が、夜のしじまに凛と響き渡る。
「誤解?」
「はい!誤解です」
「・・・」
「実は彼女、僕と付き合っているんです!」
「ええ~?」
卓の予想外の言葉に、沢口の妻は驚きを隠せない様子である。
しかし、あっけにとられているのは沢口自身であったことは、言うまでもない。
「彼女、なかなか、僕との結婚を承諾してくれなくて・・・以前から沢口社張には、ご迷惑とは存じましたが、相談に乗って頂いておりました」
「・・・」
沢口の妻は困惑しきった様子である。
「そっ、そうなんだ・・・今日は彼に連れられて、彼女の気持ちを確かめる為、おや、親代わりということで、ここに来たんだ・・・」
沢口はしどろもどろになりながらも、口裏を合わせた。
「女性一人の部屋で話すのも、ナンなんで、社長が、どこかで軽く食事でもしながら話そうと、仰ってくださいまして・・・車に乗り込もうとしていた矢先の事でしたので・・・奥様が、誤解されるのも、無理はないと思います」
「咲!・・・・・・早く乗れよ」
卓は女性に声を掛けた。
勿論、咲などとは思いつきである。
マンションの前に立つ桜の木が目に付いた。
桜の花は散り、青々とした木の葉が夜風にゆらぐ。
今年もサクラがきれいに咲いていたな・・・咲いた・・・咲き・・・
実に、いい加減なつながりだが、それしか名前が思い浮かばなかったのである。
しかし、女性は慣れたもので「ハイ」と返事をするや「失礼致します」と沢口の
奥方に一礼をし、客席へと乗り込んだではないか・・・
「お前も、行くか・・・折角、ここまで来たんだ」
沢口が必死の形相で、奥方に話しかけている。
「あら!よろしいの!・・・」
沢口の妻も、したたかである。
「ごめんなさい」の一言が出ないのは、まだ疑いを晴らしていない証拠である。
奥方が、愛人の横に乗り込んだ。
「社長、それでは助手席に・・・」
沢口を促し、ドアーを閉めると卓は、運転席に回った。
卓はアクセルを踏みながら、何故か思う。
「キュウリがパパ!ナスがママ!・・・なすがままよ!」
4人が乗った車が、夜の闇にまぎれていく・・・