金曜の出番が廻って来た。
「そうか・・・金曜なんだ」
卓は出庫前に思い出していた。
「金曜の夜、10時よ!忘れないでね!」
予約を入れたサエコの声が、聞こえたような気がした。
「まあ、なんとかなるだろ!・・・10時まで、何も考えず、頑張って走るぞ!」
卓は明るく自分に言い聞かせた。
今日の営業は、すこぶる調子が良い!
連続で入る無線!
手を挙げてくれる乗客!
「こうでないと金曜らしくないもんな!」
卓の気持ちは弾んでいた。
調子よく営業が進むと、身体の疲れは半減すると言っても過言ではない。
走っても走っても乗客が見当たらなかったり、2時間待ってやっと入った無線が初乗りのみで終わったりすると、心も体も疲れるのである。
しかし、2時間待ってやっと710円の営業が入ったとしても、卓はなんとか好印象を与え、名前まで憶えてもらおうと努めていた。
その甲斐あってか、卓のファンは多い。
子供からお年寄りまで「卓ちゃん!」の愛称で、親しまれている。
この地域は「呼ばれてナンボ」のエリアなのである。
勿論、走行距離を延ばそうと、頑張っている時、手を挙げて下さるお客様も、ありがたい。
お客様あっての商売である。
雨が降ろうが、風が吹こうが、お客様のもとへひた走る。
卓はその一念で、頑張って来たのである。
10時の予約をした、サエコと名乗るお客とて、卓にとっては乗客の一人である。
休憩をとり、夕方には食事をし、夜の営業に備えた。
約束の10時前。
指定された場所で、卓は車を停めた。
10時を過ぎた頃、サエコが窓を叩いた。
「お疲れ様です」
卓が、声を掛けた。
「ホント、疲れたわ~」
「どちらまで・・・」
「先日のマンション、覚えてる?」
「はい!それでは 長谷部のグッドマンションまで参ります」
「はい、お願い!」
「道順は、どのように・・・」
「近けりゃあイイのよ・・・任せるわ」
「はい!かしこまりました」
車中で、サエコが話し出す。
「ねえ!私って何してる人に見える?」
「来た!」と卓は思う。
「さあ~トンと分かりません」
「そう~実はね、女優なのよ・・・」
「そうですか」
卓はわざと静かに答えた。
「でさあ~ファンクラブの中に、しつこいのがいてね~時々、マンションの前まで来るの」
田中主任の言った通りだった。
「運転手さん!川浦さんて言うんだ・・・お願い聞いてくれる?」
「なんでしょう」
「そのしつこい人の前で、彼氏みたいに振る舞って欲しいのよ・・・で、時々こうやって、専属の運転手みたいに送迎してくれると有難いんだけど・・・」
普通の乗客なら、こちらも有難い・・・しかし、ことはそれだけでは済まない相手である。
「申し訳ございません・・・他のお客様もいらっしゃいます・・・営業の優先といった原則的な決まりもありまして、いついかなる時も、ご要望にお応えするということは無理かと存じます」
「へ~そうなんだ!」
声色が変わった。
「でもさあ、今日は来れたでしょう」
「はい・・・たまたまです」
「何それ!」
「予約はいつでもなさってください・・・しかし、指名となると難しいと存じます」
「ナンデヨォ」
「その前に他の予約が入る場合もございますし・・・」
「そう!結局イヤなんだ!」
「イヤと言うより無理があり、難しいと申し上げております」
「じゃあさ、私の事、どう思う?」
「お客様です」
「それだけ?」
「はい!それだけです」
「もしかしてさあ!オンナに興味ない人?」
「イエ、結婚しているので、そういうことはありません」
「ケッコン!?」
「はい」
「指輪してないじゃん!」
「ああ!運転中は外しております」
「フゥ~世帯持ちか・・・」
勝負は付いたのである。
卓は「結婚している」で、通した自分の機転を褒めたかった。