「あっ!そうだ!名前!覚えておいて!サエコ!近藤サエコよ!よろしくね!」
近藤サエコと名乗る女性客は、料金を支払いながら、意味深な笑みを投げかける。
卓は「尋常ではないな」と感付いていたが、丁寧に頭を下げた。
「イイ!金曜よ!午後10時にね!お願いよ!」
女性客は、何度もそう言いながら降りて行った。
「なんか、もう一波乱ありそうだな・・・」と卓は感じる。
社内で休憩した際、田中にこの事を告げると「あ~知ってるよ」と苦笑した。
「え、お知り合いなんですか」
「まさか・・・この辺ではね、ちょっとした著名人さ」
「・・・」
「自分は女優で、忙しい毎日を送っていて、恋人をつくる暇もない・・・けど、シツコイファンが、まとわりつくので、運転手さん、少しの間、私専属の運転手兼彼氏!みたいにしててくれない・・・て迫るんだ」
「新手の逆ナンですね」
「そう」
「それで、どうなるんですか」
「ちょっと、上がって行かないってな事になるんだ」
「上がった人、いるんですか?」
「ウチでも他社でもいないだろう・・・いくらなんでも・・・」
「そうですよね・・・当然、誘いに乗った側も違法になりますよね・・・」
「そう・・・大変な事になる」
「それって、美人局なんじゃあないですか!?」
「その可能性は高いね」
「いやあ!参ったな!」
「それもまた、経験だ!色男にだけ迫るっていうから・・・お目は高い!」
「ジョウダンじゃあないですよ~」
「そうだよな!今月結婚するってえのになあ・・・」
「シンドクなりそうです」
「ハッキリ言えばいいんだよ・・・相手がいますって・・・」
「でも、お客様を失くすことにはなりませんか・・・」
「そういう場合は仕方ないよ・・・一旦、コトが起きたとしてもだ!お上も分かってくれるよ!」
「ハア~!」
「なんなら、彼は風邪で休んでるので、代わりに来ましたって行ってやるぞ・・・」
「大丈夫です!この時点では、自分に予約された、私のお客様ですから・・・」
「そうか・・・じゃあ!川浦主任のお点前、拝見するよん!」
田中は楽しそうに笑いながら、卓の背中をポンと叩いた。