リハビリは続いていた。
皿の豆を箸でつまみ、他の器に一個ずつ移したり、積み木を積んだり、手のひらのゴムボールを常に、凹(へこ)ませたりと、リハビリは実に多岐に亘った。
そのひとつひとつが、脳に刺激を与え日常の動作だと、覚えなおさせるトレーニングである。
言語障害も歩行障害もない。
あるのは、左手のシビレだけであることが、唯一の救いだ。
後は食事療法、薬の服用である。
味が薄いのは仕方ないとしても、食欲が湧かないというのが辛い・・・
身長1メートル80、体重70数キロだった卓の身体が2週間で、かなり細くなっていった。
しかし、2週間を過ぎた頃から「焼肉が食べたい」「カレーライスが食べたい」との欲求が、頭をもたげはじめた。
左手のシビレは残っているものの、体調もすこぶる良い。
「あと、数日で退院出来ますよ」
主治医の言葉で、卓の気持ちは更に前向きになっていった。
その頃、田中は卓が復帰できるよう、運行に日勤の届け出を出してくれていた。
当分、夜をまたぐ隔日勤務ではなく、身体の調子が元に戻るまで、朝、出勤し夕方帰る就業システムがあるのだ。
問題は運転中にメニュエール病の発作が出る事であったが、これもさほど、心配しなくても良いと医者から言われ治療薬を継続して服用することで、問題はないとされた。
管理者も、同僚も、卓の復帰に向けて力を尽くしている。
実直で勤勉、常に真摯に業務に取り組む卓を、皆が応援し、一日も早い復帰に向けて祈りを込めているのだ。
病室に来た松さんが、卓の顔を見るや、急に泣き出したのには困惑した。
「俺ならともかく・・・若いオメエがよお~」と泣きっぱなしの松さんの手を取り、慰めたのは卓である。
「松さん・・・生かしてもらってる・・・そう思いながらこれからも頑張るから・・・」
「うん・・・うん・・・もう心配かけんなよ・・・」
松さんは笑顔で帰って行った。
他にも沢口社長や管理者達が、交互に病室を訪れ、卓を励ます。
一日に一度、母親は必ず洗濯物を取りに来てくれた。
母親とゆっくり話すことが出来た事も、病気のお蔭だと思う。
病気になるにはそれだけの原因がある。
と、同時に病気になって初めて感じる事、省みる事、分かったことがあった。
「生かされている」という事・・・自分は沢山の心や力を借りて、ここに存在する事・・・
ハンドルを握り走り続けた道・・・それは他でもない・・・人生の道であった事。
道を急ぐのは「生き急ぐ」ことなのだ。
どうせ走る続けるのなら、この道を大切に、しっかり、そしてゆっくり走りたいと思う。
投げ出さず自分の人生を大切にするということは、人を大切にすること、車や環境をも、大切にすることと変わりない・・・
卓は、これからが「人生の本番」だと思う。
そして、退院したら、すぐ里奈に会いに行こうと考えた。
「撤回だ!・・・交際撤回の撤回!」
卓には実行に移したいことがあった。