卓のような30代でも、脳内出血は、まれではあるが、起こりうるという。
そう言えば社内検診でも「血圧が高めなので、食べ物には充分注意するよう」に言われていた事を思い出した。
タバコも吸わない、酒も殆ど飲まないことから、「この齢で・・・何か起こるはずがない」と感じていたが、こうなってみると、齢も男女の別もないと思うのである。
「まあ・・・とにかく・・・助かって良かった!ホントに!」
いつもは無口な父親だが、安堵した表情で話すのを眺めながら、卓は母親のみならず、父親の深い愛情を、しみしじみと実感せずにはいられない。
しかし、あの夢は実に不思議な夢であった。
この命の大切さ、自分が如何に沢山の人々から、思われ愛されていたかを思い知ることになった、感謝すべき夢である。
家族や友人・知人の涙、里奈の泣き崩れる姿を、今でもありありと思い出すことが出来るのだ。
あたかもそれは異次元での体験のような現実感が、摩訶不思議な感覚で、迫ってくる。
「教えられたな」卓はそう思う。
何か、不思議な力で、教えられたのだと。
人は決して一人では生きて行けない。
「一人で生きて行きたい」と思っても、人は人との繋がりや交わりの中で、生きてこそ人と言える。
卓は、ベッドの上で、今迄の自分を省みた。
今日の営業回数は・・・もらった無線本数は・・・稼ぎは・・・それだけで必死になって来たような気がする。
勿論、それも大切な事であるには間違いないにしても、そこにもうひとつ、ワンランク、バ-ジョンアップされた自覚があればこそのプロドライバ-なのだ。
「人を乗せる」「人の命を運ぶ仕事」それだけに人としての人格が問われるのではないか・・・
それは他でもない「人を大切に思う心」と周りに対する「深い感謝のこころ」に裏打ちされている。
「こんな自分を育ててくれた、両親、田中先輩・・・そして多くの同僚・・・愛すべき職場」
卓は温かな涙が、こみ上げて来るのを抑えられずにいた。