「先日の失踪以降、症状が急に悪化したような気がするんです」
車中で、翔太の母親が、大きく溜息を付く。
「お母さん・・・僕が言うべきことではないと思うんですが・・・」
「大丈夫です・・・おっしゃってください」
「認知症の場合、家族が看るのは難しいと思います」
「先日、知人からもそう言われました・・・家族だから難しいと・・・」
「そうなんです・・・愛情もあれば、尊敬もしている・・・純粋な気持ちで、壊れて行く家族を看ておられる方もいらっしゃいますが、頑張りすぎると、リズムを崩すんです・・・専門的な知識と経験がある機関や団体にお願いしても良いと思います・・・親だから自分たちで看たいという、そのお気持ちも分かりますが・・・」
「今後はそういう事も踏まえて、考えたいと思いますが・・・ここ数ヶ月で、余りにも色んな事を聞き過ぎて・・・」
翔太の母親が喉を詰まらせた。
「確かに・・・でもあれこれ聞いても、行動をとる前に、疲れてしまうといったこともありますからね・・・でも、きっと良い方法が見つかると思いますよ」
「そうですね・・・あまり悪い方向で、考えないようにします」
「実は僕の祖母は、認知症ではないんですが、もう母の介護が無ければ用を足すことも出来ないでいるんです」
「まあ・・・」
「認知症でないだけ有難いと、母は言うんです・・・」
「お母さま、お一人で介護していらっしゃるんですか?」
「近くに嫁いだ妹がおりまして、パートで働いているんですが、時間が許せば、跳んで来て、出来るだけ母親が自由に動ける時間を作っているんです・・・」
「連携プレーが素晴らしいんですね・・・」
「母親は、おばあちゃんを長生きさせるチャレンジだとか言って・・・ギネスに挑戦!って自分を励ましてます」
「素敵なお母様ですね・・・」
そう言われて、卓は嬉しくなった。
祖母の排泄物の色で、健康状態を判断しながら、あれやこれやと食事の内容を変えている母親の事を、心から尊敬している。
しかし、いつだったか・・・リビングで、はらはらと一人泣いていた母の姿も覚えている。
その時「お母さん!」と、声を掛けたが、次の言葉が出なかった事を思い出した。
「ああ~違うのよ!BSの韓流ドラマ!あんまり泣かせるんだもの・・・主人公の若い女の子・・・頑張っているのに・・・いじめられっ放しでさ・・・可哀想ったらありゃしない・・・」
しかし、その時、テレビ画面には、ニュースが流れていたことを覚えている。
母親は日々、闘っていたのだ。
しかし、その頃から母は、よく笑うようになった。
笑い飛ばすことで、精神的なバランスをとろうとしたのである。
「年を取ると、誰もが子供に戻るんだよ・・・私もね・・・卓!その時は、頼むね!」
笑いながら話す母に「モチロンさ!」と答えた事を思い出した。
しかし、どうだろう・・・
もし自分の親が、本当に認知症になったら・・・分からない・・・答えは出ない・・・肉親だからである。
翔太の母親の悩みが伝わって来るのを感じながら・・・卓の運転する車は、夜のとばりが降りた街中を、国分寺に向けひた走っていた。