納金を終え、家に帰るとシャワーを浴びた卓は「フゥ~」っと長い息を吐いた。
「今日はなんとまあ、ドラマチックな一日だったことか・・・」
何もない日より刺激的であるには違いないが、この一日だけは違った。
1ヶ月分の就労を終えた気分である。
「あ~クタクタだあ~」
ベッドに倒れ込むように、卓は眠った。
目が覚めたのは午後1時を、まわった頃である。
熱い昆布茶を淹れた。
数ヶ月前からコーヒーもやめている。
まだ、頭がボ~ッとしていた。
昨日から明け方にかけての事を、順を追って思い出してみる。
翔太とお母さん、翔太のおじいさん、大手の部長・・・酔った女性客、沢口社長とその妻、そして愛人・・・
思い出すだけでも疲れた。
「明日は明け公だし・・・丁度、良かった」
まだ、食欲は湧いてこない。
顔を洗い歯を磨くと、少し意識がはっきりしてくるようだ・・・
着替えもせず、卓はそのまま、風呂場とトイレを磨いた。
「トイレには~それはそれは・・・・」『トイレの神様』が、口をついて出る。
卓の趣味・・・しいて言えば掃除か・・・
掃除機で部屋中、隅々まで、掃除しながら、着ている寝間着やら下着を洗濯機に入れまわす。
こういう時、彼女でもいれば掃除、洗濯、食事と心配はないのであろうが、卓はそれも「メンドクサイヤ・・・」と、思ってしまう・・・
男も、女も長い間、一人でいると、独り暮らしの気楽さに慣れてしまうのである。
その時、卓の携帯が鳴った。
会社からだ。
「はい・・・」
「あっ!お休みのところ、申し訳ありません・・・大橋です」
昨年、中途採用された30代半ばの労務担当の大橋からである。
真面目で、どんなことにも真摯に向き合う職員である。
「うん・・・どうしました・・・」
「あっ、実は今日、川浦さんへのお礼とかで、翔太クンのお母さんと言う方が、菓子折りを持ってこられまして、その後すぐ沢口社長の会社から昨日の乗車料金往復分と言う事で、2万円を置いて行かれて、残りはチップだそうでして・・・宜しくお伝えくださいということでした・・・」
卓は驚いた。
しかし、嬉しくて仕方がない。
自分の気持ちが、通じたんだと思った。
こういう時、卓はこの仕事に就いて良かったと、つくづく思う。
乗客のプライベートな部分には触れてはいけないが、昨日の出来事は、殆ど卓が引きずり込まれたと言うべき状況である。
「こういう時もあるさ・・・」
着替えを済まし、今日は友人の自家栽培農園を訪ねようと思い付いた。
小平にいる学生時代からの親友である。
電話をすると「ヨウ!・・・来いよ!」となった。
それも泊りである。
卓は簡単な準備をすると、車に飛び乗った。
「3時までには着くな・・・」
小平市は、緑や農園が多く暮らしやすい・・・それにオシャレな街でもある。
青梅街道の両側に立っている木々が風にそよぐ・・・
友人の富山は、卓の大学時代からの無二の親友で、よく二人で並んでパチンコをした仲である。
富山の家は先祖代々の農家で、田畑や農園は数千坪の規模である。
今は結婚して、家には富山夫婦と、その子供達、富山の両親、そして妹がいた。
日本家屋の立派な構えであるが、ここに来ると何故か卓は落ち着いた。
緑の中の静けさが、そうさせるのか・・・
敷地内に入ると左手に蔵があり、周りは広い駐車スペースになっている。
車を停め荷物を持ってドアーを閉めると、後ろから声がした。
「お久しぶりです・・・」
富山の妹、里奈が、ニコニコと笑って立っていた。
「おう!里奈ちゃん!」
昔から妹のように可愛がってきた。
20代後半にさしかかったであろう里奈は、畑仕事で日焼けしているが、目鼻立ちのはっきりとした知的美人である。
「元気そうだね!」
「川浦さんも!」
人懐っこく微笑む里奈の笑顔に、卓は「来て良かった」と思った。