「奥様のおっしゃる通りだと思います・・・私自身が、焦っておりました・・・」
小一時間ほど、話したであろうか・・・沢口の愛人は、「この辺で、締めくくらなければ・・・」と思ったのであろう。
愛人が神妙な面持ちで答えるのを、卓は「意味深だ」と感じていた。
沢口の噂を耳にして、2,3年が経つ。
奥方が沢口の挙動を不審に思うのも、当然である。
「そうよ・・・果報は寝て待て・・・ですよ」
沢口の奥方が、初めてニッコリ笑ってみせた。
「今日は、ホントにご迷惑をお掛け致しました」
卓が、沢口とその妻に、一礼するのを見て、咲も一緒に頭を下げた。
「いやいや、いいんだよ・・・又、何かあったらいつでも相談に乗るよ・・・」
沢口が、笑った。
ホッとしていたのは沢口だけではない。
この場の演出をして見せた卓も、それに従った咲も、胸を撫で下ろしていた。
「それでは、僕がお送りします」と、レシートをとりレジに向かう。
帰りの車の中で、沢口の妻と、咲は終始、着物や共通の趣味である茶道の話で、盛り上がっていた。
「私、咲さんと気が合うみたいね・・・」
奥方が言うと、「ええ、私も!・・・今日をお会いしたばかりの方ですのに・・・」
咲も笑顔で答える。
「よかった・・・事が大きくならなくて・・・」
卓は、大胆な芝居が出来る自分に驚き、胸が少しドキドキしているのを感じていた。
マンションで咲を降ろすと、卓は沢口の自宅へと向かった。
「素敵な女性ですよ・・・余り、待たせないようにね」
奥方が卓に話しかけると「そうだ、そうだ」と沢口が相槌を打つ。
帰りの車中で、奥方はすこぶる機嫌がよかった。
「安心したんだな・・・きっと・・・」
卓はそう思った。
自宅の前に着くと、沢口が財布を取り出そうとするのを見て取った卓は「社長!今日は私の事で、お付き合いをして頂きましたので・・・乗車料金は頂く事が出来ません」と素早く伝えた。
「あっ・・・そうか・・・」
沢口は卓の肩をポンと叩くと先に降り、玄関へと向かう。
後に続き降りようとする奥方が意外な事を言った。
「卓ちゃん!今日はありがとう!お陰で、私、鬼にならなくて済んだわ」
びっくりして、奥方を見つめる卓に奥方は「あの人のオンナ好きは、治らないの・・・分かっていましたよ・・・とうに!・・・ホントにありがとう!じゃあ、またね・・・」
奥方の顔が観音様のように、穏やかに見え
るのは気のせいだろうか・・・
卓は車中で、凍りついたように動けなかった。
「咲になり切った愛人と言い、全てが芝居だと分かっていて、それに付き合った奥方と言い・・・オソロシィ~」
卓はブルッと身震いした。