卓は、エントランスへと滑り込んだ。
丁度、沢口の乗ったエレベーターのドアーが閉まるのを確認するや「社長!」と、声を上げたが、間に合わない。
沢口は既にエレベーターで、階上へと向かっている。
エレベーターは5階で止まった。
卓は、このまま携帯を預かり、後日、直接返しに沢口を訪ねるのが良いと判断した。
5階に止まったと言っても、部屋が分からないのであれば、仕方がない。
それに相手の部屋に入ったであろう沢口に手渡すことも、また野暮な話である。
「帰るか・・・」卓はあきらめた。
マンションの外へ出ると、卓は車の中へ戻り、日報を付け始めた。
トントンと窓を叩く音に気付いた卓の目に飛び込んできたのは、沢口の顔である。
「あっ!社長!」
咄嗟に窓を開けた。
「今、追いかけたんですが・・・」
「ああ、エレベータの中で気が付いたんだ」
「良かった・・・持って帰ろうかと思っていました」
「いやあ、不意にカミさんから電話が掛かって来たりするからね・・・すまん!」
「イエ、とんでもありません」
卓は、携帯を渡した。
その時「社長!」と、妙に色っぽい声がするので、そちらに目をやると、年のころなら40前後だろうか・・・
艶っぽい女性がカーディガンを羽織ながら、近寄ってくるのが見えた。
「社長、余り遅いんで、気になって・・・なにかありました?」
その女性の問いかけに沢口が答える。
「いやあ!スマン!・・・携帯を忘れちゃってさあ・・・」
「あら、そうでしたの・・・」
女性がニッコリ微笑んだ。
「どうもありがとございます」
女性は卓にも優しく声を掛けた。
「イエイエ、とんでもございません」
卓が笑顔で返した、その時、後ろで車の止まる音がした。
三人が、何気に振り向くと、見覚えのある女性が降りてくる。
「あなた!」
中から降りて来たのは・・・
ナント!沢口の妻であった。
「お前!・・・」
沢口は呆気にとられている。
卓はこのまま立ち去ろうとも思ったが、沢口とは知らぬ仲ではない・・・と言うより常連である。
「このままには、しておけないな・・・」
卓の親切心が、ムクムクと頭をもたげて来るのが、卓自身、よく分かった。