思い起すと、入社して1年目の真夏日・・・
信号が青の交差点で、対向車の陰から直進して来たバイクと、接触事故を起こしたことがある。
相手は転倒・・・救急車の手配、警察や会社への連絡をやっとの思いで、行っている時、無線室からの通報で、駆け付けて来てくれたのが、田中 賢治主任だった。
「大丈夫か・・・落ち着けよ」と、小声で耳打ちされハッとした。
気が動転していて、「取り乱していたのかも知れない」と思った。
その後、会社に戻り詳細を報告書にまとめていると、「今日は、もう帰って休め」
田中主任の声がした。
家に帰りまんじりともせず、朝を迎えたが、意を決し便箋用紙を取り出した。
「もう続けられない・・・今日中に会社へ提出して来よう」
マンションを後にした卓の手には、退職届が握られていたが、納金を終え帰る田中と偶然、会社の敷地内にある駐車場で、出くわした。
「おう!どうした!」と声を掛けられたが、「あの、もうご迷惑掛けられないので・・・」と口ごもる。
「相手の方だけど、運よく骨折はしていなかったよ・・・重大事故にならず良かったな」
その言葉だけで、救われる思いがした。
「どうも、ご迷惑をお掛けしました」お辞儀をして会社の点呼窓口に向かって歩き出そうとした瞬間
「おい!辞めんなよ・・・教訓と経験を積んだと思え・・・大切な事を忘れてんじゃあないのか」
田中の声に卓は我に返った。
「そうでした・・・相手の方の処へお見舞いに・・・」
「そうだよ・・・今日中に一緒に行くか」
卓は目頭が熱くなるのを、やっとの思いで、こらえた。
「初めてだ・・・こんな上司・・・」
そう思いながら、卓はコクリと頷いた。